企業の映像制作で、40万円という金額が出てくることがあります。
たとえば製品のデモ映像。人が大勢関わるわけでもない、規模としては小さい部類のものです。
それでも、手残りは10万円あるかないかです。
私はこの話を、誰かを責めるために書くつもりはありません。この金額を出した人に悪意はない、と本気で思っています。ただ、見えていない。 それだけのことだと思っています。
そして見えていないものを見せるのは、たぶん、こちら側の仕事です。
企業が作る映像の、代表的なもの
まず、何の話をしているのかをはっきりさせます。
企業が作る映像で、代表的なものを挙げると、採用、社内研修、ローンチ(商品紹介)、製品デモあたりです。
もちろん、これだけではありません。導入事例のインタビュー、製品の導入プロセスを見せるもの、中期計画や目標を社内外に伝えるもの。 現場に出ると、もっといろいろあります。ここでは代表的なものに絞って話します。
言葉だけだと伝わらないので、実物を置きます。全部、うちで作ったものです。
社内研修です。
誰も出演していません。
採用の構成で作ったものです。
ローンチ(商品紹介)です。架空のプロダクトで作りました。
そして製品デモ。これは自社ツール「Writer's Window」のものです。
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これらには、共通点があります。挙げなかったものも含めて、たぶん全部そうです。
どれも、その企業の本業ではありません。
映像を作ることが仕事の会社は、ほとんどありません。それでも社内研修は要る。採用も要る。商品を出せば紹介映像が要る。
本業ではないのに、大量に必要。ここが企業映像のいちばん厄介なところだと思っています。
本業ではないから、専任がいない。専任がいないから、外に出すか、誰かが片手間でやることになる。
先に書いておきます。実写は有効です
ここから実写のコストの話をするので、先に立場をはっきりさせておきます。
実写で撮ること自体は、非常に有効です。
たとえば採用インタビュー。あれは本人が語るから効くんです。 実際に働いている人の心情や、そのときの感情。そこに嘘がないから伝わる。やったほうがいいに決まっています。
私はAIで作れるから実写は要らない、と言いたいわけではありません。
ただ、実写には実写のコストとリスクがある。 それを込みで判断したほうがいい、という話です。
実写で撮るなら、何が動くか
さっきの社内研修映像を、実写で作るとします。
撮影日を1日押さえます。すると、その日に何人が動くか。
出演する社員。撮影スタッフ。立ち会う担当者。会議室を1日押さえるなら、その部屋を使うはずだった人たち。
社員の時間が、本業から抜かれます。
そして、社員に出てもらうということは、その人が辞めたら、その映像は使いにくくなるということでもあります。研修映像に映っているのが、もういない人だったとき。内容が正しくても、なんとなく使えない。
人に出てもらうことには、そういうことが付いてきます。
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もうひとつ。規定が変わったときの話です。
実写なら追撮——追加撮影になります。もう一度、同じことをやる。
追撮の重さは、撮り直しの手間だけではありません。
屋外の予定なら天気に左右されます。雨が降ればスケジュールがずれる。ずれれば会場を再度押さえる。予算が追加になる。追加予算には承認が要る。そして「なんでそんな企画を出したんだ」と言われる人が生まれます。
天気は誰のせいでもないのに、誰かが責任を取ることになる。
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こうして並べると、実写を選ぶというのは、会社のリソースを割く判断でもあることが分かります。
だから私は、AIの価値を「安くなること」だとは思っていません。リソースを割けないときに、それでも作れることだと思っています。そして結果として、社員の時間が本業に戻る。
どちらが上という話ではありません。 本人が語るべきものは実写で撮ればいい。そうでないものまで、人と時間を動かして作る必要はない。その線引きの話です。
なぜ、その金額が出てくるのか
先に、構造の話をします。
企業映像の仕事は、営業が取ってくることが多いです。
ここで誤解されたくないので、はっきり書きます。営業が強いこと自体は、悪いことではありません。
映像業界のプロデューサーは、予算を持ってきて、企画を作って、みんなにお金を撒く人です。お金を引っ張ってきた人間が優遇されるのは、当たり前だと思っています。 これは私の考えです。
問題は、営業が強いことではありません。予算が見れない人と、工数が見れない人が多いことです。
見積もりを出せない人が金額を決めると、どうなるか。裏にかかるコストが見えないまま、感覚で金額がついて、制作者に振られます。
私が過去に見てきた金額を、2つ挙げます。
- 配信で40万円。 必要な人員は10人
- 製品デモ映像で40万円
どちらも「安すぎる」と言うつもりはありません。逆算してみましょう、という話です。
逆算してみます ①配信
先に断っておくと、映像制作と映像配信は別の事業です。 求められるものも、動く人も違います。混ぜて語られがちですが、分けたほうがいい。
そのうえで、配信で10人というのは、こういう内訳です。
- ディレクター ——本番中のトラブル対処と、クライアントの窓口
- AD ——フロアディレクターの位置でディレクターを支える
- スライドのスイッチャー
- カメラのスイッチャー
- 音声(ミキサー)
- カメラマン ——カメラの台数分
- 配信管理 ——ネットワークの状態と、配信が正常に出ているかを見続ける係
- アーカイブのログ
- 営業 ——当然、来ます。自分の顧客なのですから
これで10人です。削れるところがあるでしょうか。
カメラを3台立てるなら、カメラマンは3人です。音声を兼任させれば、音が崩れたときに誰も気づけません。配信が落ちたことに気づくのが視聴者からの連絡だった、という事故は避けたい。だから、この人数になります。
ADは、人数合わせではありません。
本番中にトラブルが起きると、ディレクターはその対処に走ります。 会場の担当者と話す、機材を見に行く、クライアントに説明する。その間、現場が無人になるわけにはいきません。
そこを守るのがADです。 出演者に合図を出し、進行を止めず、戻ってきたディレクターに状況を渡す。ディレクターが動ける前提を作っているのがADなので、ここを削ると、トラブルが起きた瞬間に本番が止まります。
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そして、これは当日だけの話ではありません。
事前にも人が動きます。
- 配信プラットフォームの準備
- 視聴リンクの準備と配布 ——誰に、いつ、どの経路で渡すか
- スライドの制作 ——承っていれば
- 先方の資料を配信するなら、その資料の作成
- 完成後のスライド確認と、クライアントとの二重チェック
- そしてあらゆる方向との連絡調整
スライドを作るなら、それは丸ごと別の仕事です。 作って終わりではなく、内容が正しいかを確認し、クライアントにも見てもらう。数字が入っていれば、そこは特に慎重になります。本番で間違ったスライドが出たら、取り返しがつかないので。
そして最後のものが、実は一番重いかもしれません。会場と、主催と、出演者と、先方の広報と。「これ誰に確認すればいいんでしたっけ」が何往復も発生します。 配信は関係者が多いぶん、ここが膨らみます。
配信には終われば手離れが良いという性質があります。編集納品のように後を引かない。それは本当です。
それでも、40万を10人で割ったらいくらでしょうか。 そこに機材と、交通費と、事前に動いた分が乗ります。
逆算してみます ②製品デモ映像
こちらは冒頭に挙げた例です。人が大勢関わるわけでもない、規模としては小さいものです。
何が起きるか、順番に並べます。
- ミーティング
- 資料をもらう
- 資料を読み込んで、製品知識を深める
- 台本を書く
- 台本に使う素材を集める ——写真、素材データ、イラスト
- 台本を出して、先方とラリー ——何度か往復して修正
- 編集マンに投げる
- 編集マンとミーティングして、調整
- 完成したものを出して、また先方とラリー
ラリーが2回あります。 台本で1回、完成品でもう1回。ここが読めません。1往復で終わることもあれば、5往復することもある。
そして3番に注目してください。資料を読み込んで、製品知識を深める。
これは絶対に必要な工程です。製品を分かっていない人間が書いた台本は、読めば分かります。でも、見積書に「製品知識の習得」という行が立つことは、まずありません。
動く人は、少なくとも3人です。営業、ディレクター、編集。そこに自分が入る。
そしてそれぞれが3日以上動きます。
台本は「1日」と見積もりがちですが、実際にはそうなりません。素材が集まらない、資料が届かない、確認が返ってこない。
待っている間は、拘束されているわけではありません。 他のことはできます。
でも、納期は動きません。
待たされたぶん、締め切りは近づきます。そして自分の作業に充てられる時間は減っていく。 最後には、縮んだ時間の中で納期に間に合わせることを求められます。
待ち時間そのものより、そのあとに来る圧縮のほうがきつい。 これは見積もりに書けませんが、確実に起きます。
それでも40万なら、手残りは10万あるかないかです。
同じ40万でも、受ける主体で意味が変わる
ここで、大事な区別をひとつ。
個人やフリーランスなら、どうにか残せるかもしれません。
40万を受けて、編集に3万払って、残りを自分が取る。計算としては、回らないことはない。
ただ、それも決して楽ではありません。 3日拘束される想定が、ラリーが伸びて5日になる。そのあいだ他の仕事は取れない。時給に直したらいくらになるのか、という話になります。
それでも、自分の取り分を自分で決められるぶん、成立の余地はあります。
でも、会社が受けると成立しません。
一人ひとりに日当なり時給なりが実際に払われるからです。3人が3日ずつ動けば、それは9人日。そこに社会保険料も乗ります。どう考えても合いません。
「どうにかする」の余地が、法人にはないんです。払うものは、必ず出ていくので。
同じ40万でも、受ける主体によって意味がまったく変わる。 ここが混ざったまま相場の話がされている気がします。
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こうして2つ並べて逆算してみると、思うことがあります。
この金額、工数を見た人が付けたものではないな、と。
配信なら、当日に10人と、事前の準備と、連絡の往復。製品デモなら、資料の読み込みと、2回のラリー。どちらも、やったことがあれば分かる話です。
やったことがなければ、分かりません。そして、分からないまま金額を決められる立場の人がいる。 それが構造だと思っています。
そして、そこにAIが入ってきます。
「AIならできますよね」は、誰が言うのか
先に断っておくと、この言葉は企業からはあまり出てきません。
一般の事業会社は、そもそもAIとの距離がまだ遠い。「AIで作れるでしょ」と言えるほど、AIで何ができるかを知らないからです。だから発注のときにその要求は出てこない。
出てくるのは、業界の内側からです。 一度AIで成立させると、次から「じゃあ、これもできますよね」が始まる。追加の業務が来て、単価は据え置きか、むしろ下がる。
AIの導入は、制作者にとって武器です。同時に、内輪では買い叩きの口実にもなります。
なぜそうなるかというと、消えていない仕事が見えなくなるからです。
生成は速くなりました。それは本当です。でも、何を、どの順番で言うかを決める仕事は消えていません。誰に向けるのか。最初の数秒で何を見せるのか。どこで結論を言うのか。何を捨てるのか。
そこが決まらないまま生成を始めると、素材だけが増えて、まとまりません。
生成が速くなったぶん、判断の比重はむしろ上がっています。 でも、外からは見えない。ボタンを押したら出てきたように見える。
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ただ、企業に対しては話が違うと思っています。
「AIでやらせれば安くなる」と思われがちなのは事実です。でも、そこで安さを売りにする必要がありません。
企業にとってのAIは、付加価値しかないと思っています。次にその話を書きます。
本当は、現場が一番よく見えている
ここが、この記事で一番言いたいことかもしれません。
予算が本当に見えているのは、制作者であり、現場の人間です。
工数も、裏のコストも、どこに無理が寄るかも、実際に手を動かしている人が一番よく分かっています。当たり前です。やっているのだから。
ところが、決定権と分配を握っているのは、見えていない側です。
見えている人が決められず、見えていない人が決めている。
この状態で制作者に仕事を振っても、それは指示ではなく、負担の押し付けになってしまいます。
そして現場で汗をかいている人間と、確定している予算をミーティングで「取ってきた」と言う人間と、どちらが評価されるべきなのか。
私はもう答えを持っていますが、ここには書きません。それぞれで考えてもらったほうがいいと思っています。
取り返そうとした行動が、傷を広げる
もうひとつ、書いておきたいことがあります。
工数が見えないまま金額が決まる。それが是正されないまま、同じ受注の仕方が続くとどうなるか。
業績が落ちます。 当然です。
そして、落ちた業績を取り返そうとします。ここで何が起きるか。
数を増やす方向に行きます。 案件をもっと取ってくる。人をもっと回す。あるいは、雑な見積もりで、なんとか利益を出そうとする。
でも、これはリカバリーとして機能していません。
数を増やせば、工数も増えます。労働集約の度合いがさらに深まるだけです。雑な見積もりは、次の赤字を呼びます。
取り返そうとした行動が、傷を広げている。
そして、それが分かっていない。悪意ではなく、構造が見えていないからです。
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もうひとつ、似た断層があります。
営業が、年度末の予算消化などで大口の案件を取ってくることがあります。これは能力です。すごいことだと思います。
ただ、その大口案件の予算を、どう使うかは別の話です。
どの工程にいくら割り付けるのか。どこに厚みを持たせて、どこを削るのか。取ってくる力と、使う力は別のものです。 そして後者を持っている人が、決定の場にいないことが多い。
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そして、ここが一番きついところなのですが。
努力しなくても取れてしまう仕事が、あります。
年度末の予算消化。先方には使い切る必要があるので、こちらから何かしなくても声がかかる。あるいは、関係性で回ってくる仕事。仲良くしていれば、多少安くても継続的に来る。
これは営業活動として成立してしまいます。 数字は立つ。だから、是正する動機がどこにも生まれません。
そのうえで、分配を見てみます。
案件がいくらで取れても、赤字でも、制作者の給料は変わりません。固定給だからです。
取ってきた案件が赤字でも、取ってきた人の評価は下がりません。
私はこれを、営業が悪いという話にしたくありません。その人もまた、その構造の中にいるだけかもしれないからです。評価される仕組みがそうなっているなら、そう動くのが普通です。
ただ、事実として並べておきます。 見えたほうがいいと思うので。
本来、営業がやるべきこと
では、どうあるべきか。私は、こういうことだと思っています。
こちらの作業を明文化する。
それを相手にきちんと理解してもらう。
そのうえで、コストに納得してもらう。
この「納得」ができるかできないかで、相手の反応はまったく変わります。同じ金額でも、内訳が見えているものと、見えていないものでは、通り方が違う。
そしてそのためには、営業は制作と膝を突き合わせて話さないといけません。 何にどれだけかかるのか、どこが読めないのか。それを知らずに、明文化はできない。
映画のプロデューサーは、みんなそれをやっています。
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お気づきかもしれませんが、これはさっきから私が言っている「工程を分解して並べる」と同じことです。
つまり本来それは、営業の仕事だったはずなんです。
見積書に、何を書くか
具体的な話をします。ここは、明日から使えると思います。
本来、見積もりに載せるべきものはこれです。
- 人件費
- 機材レンタル費
- 制作管理コスト
そこに、実働日数を勘案して入れ込みます。
3番目がポイントです。打ち合わせも、資料の読み込みも、連絡の往復も、ここに入ります。
なぜ「打ち合わせ費」と書かないのか。書くと、こう言われるからです。
「打ち合わせで、お金取るんですか?」
やっていることは同じです。でも「制作管理」と書けば、費目として通ります。 これは小細工ではありません。実際、打ち合わせは制作を管理する工程の一部です。より正確な名前を付けているだけです。
名前の付け方ひとつで、通り方が変わる。 そして、この書き方ができるかどうかが、見積もりを書く技術そのものだと思っています。
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発注する企業の側も、出された見積もりが分かりやすいから飲んでいる、というだけのことが多いはずです。
判断材料がそれしかないからです。だから、これは出す側の問題だと思っています。企業が悪いのではなく、見えるように書けていない。
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だから、こう思っています。
「予算を取ってきたから偉い」「仕事を取ってきたから偉い」だけでは、偉くない。 その予算が現場に無理を強いるものなら、それは仕事を渡したのではなく、負担を渡しただけになります。
やるべきなのは、真っ当な予算 ——関わる人がちゃんと生活できる予算を取ってくること。そして先方に対して、きちんと意見を言うことです。
戦って取ってきた予算を、ちゃんとみんなに分配している。 そういう人は、優秀だと思いますし、ちゃんと仕事をしていると思います。 そういう人の言うことなら、私は聞きます。
でも、納得感のないまま、ただ安い仕事を取ってくるだけなら。そこに威張る根拠はないはずです。
「営業一強」という状態は、作ってはいけないと思っています。
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数を増やす方向で解こうとする限り、同じ場所に戻ってきます。
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見えれば、話は変わる
長くなったので、まとめます。
40万円という金額そのものを責めたいわけではありません。 出した人に悪意はない、と本気で思っています。
ただ、見えていない。
配信なら、当日の10人と、事前の準備と、連絡の往復。製品デモなら、資料の読み込みと、2回のラリー。やったことがなければ、分かりません。
だから、工程を分解して並べる。人件費、機材レンタル費、制作管理コスト。そこに実働日数を入れる。
見えていないだけなら、見せればいい。 少なくとも私は、それで単価の話で終わらせずに済んだことが何度かあります。
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ただ、見せるだけでは足りない場面もあります。工程を並べても、その工程自体が重すぎるときです。
3人×3日という積み上げでしか作れないなら、値段は人数と日数で決まります。そこから抜けない限り、この話は終わりません。
その先については、別の記事に書きました。
