本当は、エンターテイメントがやりたい

映像の仕事を、ちゃんと仕事にしたいと思っています。

この記事は、その理由の話です。見積もりの書き方でも、AIの使い方でもありません。 なぜそこまでやろうとしているのか、という話を書きます。

少し個人的な内容も入ります。

なぜ、企業映像なのか

よく聞かれます。なぜエンターテイメントではなく、企業映像なのか。

理由ははっきりしています。

映画やエンターテイメントは、儲かることもありますが、儲からないことのほうが多い。 そしてキャッシュフローが非常に遅い。

その中で人を育てるのは、正直、かなり難しいです。育てている間の人件費をどこから出すのか、という話になります。

だから、映像業界自体が「人を育てる分野」をきちんと持っていなければいけないと思っています。

硬い仕事をきちんと持ってきて、その上でエンターテイメントの仕事も教える。

企業映像は、エンタメから落ちてきた人が行く場所ではありません。エンタメを支えるための、育成の原資になりうる場所だと思っています。

「クリエイターが評価されていない」とは言いたくない

この話をすると、「クリエイターが正当に評価されていない」という言い方になりがちです。

でも、その言い方は少し違うと思っています。

そう書いてしまうと、被害者の話になります。読んだ人は「大変だな」と思って、それで終わってしまう。何も動きません。

私が言いたいのは、もっと単純なことです。

映像を、ちゃんと仕事にしましょうよ。

無理に無理を重ねなくても、稼げるようにしなきゃいけない。

それだけです。

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なぜそう思うのか、書いておきます。

私は、自分の得意な、好きな映像の分野で、まともにお金をもらえない時期がありました。4年間、月10万円にも満たない額で生きていました。

正直に言えば、めちゃくちゃしんどかったです。 そして、あれは良くないと思っています。

当時の関係者を責めたいわけではありません。そういう構造だった、という話です。

ただ、同じことを後輩にさせたくはない。 そう思っています。

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ここで、話を止めたくないんです。

「月10万は論外。でも月30万もらえてるなら、いいでしょう」 ——そういう話ではないと思っています。

生活ができるからといって、過酷な労働や、見合わない労働をさせていいわけではありません。

考えてみてほしいんです。

仕事は安定させたい。月30万円の給料は、少なくとも欲しい。

だからといって、朝早くから夜遅くまで拘束されたいでしょうか。

交通費が払われているから、それでいいのでしょうか。

そして——業績が悪化したので、ボーナスが減ります。

それは、おかしいんじゃないでしょうか。

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業績が悪化しているのは、本来、経営判断の結果です。どういう案件を、いくらで受けるか。その積み重ねで決まります。

その結果を、現場の給与や賞与で調整するのは、筋が違うと思っています。

経営者が無能だと言いたいのではありません。責任の所在の話です。 決めた人が引き受けるべきものを、決めていない人が引き受けている。

そして、それが横行しているのが企業映像の実態だと思っています。

「予算が読めない」と言われてきた

もうひとつ、書いておきたいことがあります。

私は企業映像の人たちから、浮世離れした人間だと思われてきました。 「予算が読めない」という言い方もされました。

ただ、事実だけ置いておきます。

私は日本の最低予算クラスのオリジナルビデオ映画を手がけたことがあります。「これじゃ撮れないよ」と言われた予算を切り詰めて、成立させました。プロデューサーであり監督であり、その予算をマネジメントした本人です。

25歳のときでした。

それが偉いと言いたいのではありません。ただ、見た目で決まってしまうことがある、という話です。

そして、たぶんこの経験があるから、私は「予算が見えていない」と書けるのだと思います。見えている側に立ったことがない人間が言うと、それはただの悪口になります。

カリキュラムに詰め込んだもの

これまで経験してきた、企業映像に必要なノウハウを——エンターテイメントの分も含めて——詰め込んだのが、AIフィルムアカデミーの120時間カリキュラムです。私が設計と制作を担当しました。

中身の配分を書いておきます。

AIの操作そのものを扱うのは、前半の3週です。 そこから先もAIは使いますが、実務に近いロールプレイングの中で、実務と一緒にという形になります。

つまり、残りの時間でやっているのは、こういうことです。

そして「覆し」に1週まるごと使います。 クライアントの方針転換は、事故ではなく前提だと考えているからです。テーマは「覆しをチャンスに変える力」。

さらに法務・コンプライアンスにも1週。著作権、AI生成物の権利、モデルのライセンス、肖像権、ディープフェイクの倫理、商標、景品表示法の「盛りすぎ」、業務委託契約、NDA。

企業案件で止まるのは、たいてい技術ではありません。ここです。

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「120時間」と書かれても、実物がなければ判断できないと思います。 なので置いておきます。

運営しているのは別の会社ですが、カリキュラムの設計と制作は私が担当しました。

👉 AI Film Academy

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もうひとつ、書いておきたいことがあります。

私は講師としても関わっているのですが、私や他の講師から、受講生に実際の企業案件を託すことがあります。

課題ではなく、本物の案件です。実際に顧客と会って、話を聞いて、映像を作る。

ここでしか得られないものがあると思っています。納期があって、相手がいて、お金が動く。 その状態で判断するのと、課題として判断するのとでは、まったく別の経験になります。さっき書いたレビュー——「これは出して大丈夫です」と言い切ること——も、実案件でなければ本当には身につきません。

だからこそ、AIを「仕事で」使える人間が育つと思っています。使えるだけではなく、仕事として。

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ただ、これはまだ入り口に過ぎません。

120時間で教えられることには限りがあります。現場に出れば、教えていないことのほうが多い。それは分かっています。

それでも、入り口はあったほうがいいと思って作りました。いろんな人にやってもらえるといいなと思っています。

やろうとしていること

長くなったので、やろうとしていることを整理します。

AIを使って、労働集約の環境から抜ける。 人数と時間を積み上げないと成立しない構造から、まず出る。

そのうえで、人が本来やるべきことをやる。 判断すること。人に出す前に問題に気づくこと。見えていないものを、見えるように書くこと。

そして、その先にあるのはこれです。

人が普通に生きていたら、普通にお金が稼げている。

そういう状況を作りたい。それだけです。特別に頑張った人だけが報われる、という話ではありません。 普通にやっていれば普通に成立する。それが当たり前になっていないのが、いまだと思っています。

たぶん、外圧がないと変わらない

正直なところを書きます。

どうすれば改善できるのかを勉強している経営者や、業界の人間は、そんなに多くないと思っています。

これは責めているのではありません。目の前の案件で手一杯だからです。 今週の納品があって、来月の見積もりがあって、人が足りない。その状態で「構造をどう変えるか」を考える時間は、正直、取れません。

でも、取れないまま10年経ちました。

だから思っています。内側からは、たぶん変わらない。外圧がないと変わらない。

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そして、今回のAIが、その外圧になってくれたらいいと思っています。

労働集約でしか作れなかったものが、そうでなくなる。人数と日数で値段が決まっていたものが、決まらなくなる。そうなったとき、いまのやり方は続けられません。

変わらざるを得ない状況が来るなら、それは悪いことではないと思っています。

そして、私自身がその外圧のひとつでありたい。 外から来るのを待つのではなく。

本当は、エンターテイメントがやりたい

最後に、正直なことを書きます。

本当は、僕らはエンターテイメントがやりたいんです。

映画を作りたい。アクションを撮りたい。人が驚いたり泣いたりするものを作りたい。それが出発点でした。いまもそうです。

でも、それだけじゃよくない。

エンタメだけをやっていると、人が育ちません。育てる原資がないからです。そして育たなければ、エンタメ自体が続きません。

だからこそ、みんなの力で変えていく。

それをやっていくのが、いま僕のやるべきことだと思っています。

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冒頭の話に戻ります。

40万円の映像制作で、手残りは10万あるかないか。

この数字を見て「安すぎる」と思った人も、「そんなものでは」と思った人もいると思います。

どちらでもいいと思っています。ただ、一度、工程を分解して並べてみてほしいんです。

資料の読み込み、製品知識、台本、素材集め、2回のラリー、編集との調整。並べれば、見えます。

見えれば、話が変わることがあります。少なくとも私は、単価の話で終わらせずに済んだことが何度かあります。

見えていないだけなら、見せればいい。そこから始められると思っています。

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そのために作っているもの